199530 ランダム
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ふらっと

ふらっと

揚陸艦グリフォン

 少年は連続する緊張に耐え続けていた。
 サイド4へ向かうスペースシャトルに乗り込んだときから、ろくに人と対話をしていない。意識すればするほどのどの奥に何かが詰まるようで、言葉を発するのが怖くなっていた。
 それでも、ここは宇宙だ。重力よりも重いしがらみを振り切ってきたのだ。もう甘えなどは許されない。
 ふと、声が聞こえたような気がして、無意識に天井を仰いでみる。
 解き放たれた心が、宇宙の闇に向かって拡大しているのかもしれない。しかし義兄はこの広い闇の彼方のどこにもいない。
 自分はやがて、この空間に飛び出していった義兄の年齢を超えていくだろう。3人の義兄姉のうち、上の兄は父と同様に写真でしか知らない。少年がまだ赤子の頃に、上の兄は宇宙で死んだ。
 母はそのことについてあまり語らなかったが、少年は宇宙へあがるトレーニング期間の最中に出会った、カミーユ・ビダンという名の医師から、兄の戦いざまと最期を聞くことができた。
 話をしてくれた青年医師は、少年に何度か謝罪の言葉を告げたが、少年にはそれがどんな意味を持つのかはよく理解できなかった。
上の兄は自らの意志で戦いに赴き、己の未熟さが的確な判断力を失わせたがために、命 を落とすこととなったらしい。彼を救えなかったことに対して、当時ともに戦ったという青年医師は、責任を感じていると言った。
 仕方のないことではないかと、少年は感じた。青年医師を恨む気も、怒りも覚えることはなかった。やはりまだ、少年にとっては遠いところで起きた出来事でしかないのだ。
 それよりも、宇宙で何ができるのかわからない自分のほうが、苛立ちを感じることがある。今は、何も考えたくない。怒鳴られ、殴り飛ばされることになってもいいから、泥のように眠り込めるくらい、自分を痛めつけたいだけだった。
 それがなぜなのかもわからない。逃げ出したかったからか、試したかったからか、何一つうまく説明ができない。ここへたどり着くまでの1年間は、本当にがむしゃらに突っ走ってきた。宇宙という環境への適応のための訓練と知識収得、作業用モビルスーツの免許取得と実機シミュレーション。役に立たないことはないと、GMタイプの実機訓練もやらされた。
 答えを見つけたかったからだ。
 何の答えを? それこそが分からないものの根源だった。
 ともかくここまできた。もう後へは引けないのだ。
 父のことは何も覚えていないが、母や兄姉たちは、いつでも一所懸命に暮らしていた。 自分にもできることが、きっとある。それは振り返る場所ではなく、目の前の漆黒の空間にあるはずだ。
 そういうふうに気持ちの整理を強引につけると、ようやくため息が出た。気持ちが少しときほぐれて、無重力のキャビンに座り続けてきた自分自身の体が、内側から圧迫されているような感覚に気づく。
 顔といい手といい、あちこちがむくんでいる。ユニフォームだと言われて渡された軽装のノーマルスーツが、外から見ると少し大きいのではないかと感じたのは、無重力下で少しだけ膨張する体に合わせてのことだったのだ。 
「着替えはすんだか? もうじきD3に到着する。あそこの責任者はフレディ総支配人だが、君は揚陸艦グリフォンのキャプテン・トドロキのところへ預けられる。仕事はメカニック訓練生だが、まあ雑用ってところだな」
 内火艇の艇長が、ただ1人の乗客の様子を見にやってきて、少年に告げた。
「揚陸艦・・・ですか」
 少年はこのとき、自分が働く場所がコロニーやステーションではなく、船に乗せられることを初めて知った。モビル・ダイヴというレジャー産業の存在も最近知ったばかりで、細かいことはまだ知識のうちにはない。
「揚陸艦とはいっても、それは船の型式だけを言ってる。実際にはモビルダイバーを運搬する観光船さ。ほんとうは観光船ともちがうが・・・ そいつは乗り組んでからのお楽しみってやつだ。だいたい揚陸艦といったってさ、戦時中も敵方の基地に乗り込んでいって接舷するようなケースはあまりなかったらしい。グリフォンはペガサス級といって、けっこう古い船だな」
「ペガサス級の強襲揚陸艦には、父が乗り組んでいたことがあります」
「ほう、親父さんは軍人だったのか。どこの所属だったんだ?」
「あの・・・ 僕が生まれたすぐ後に戦死しましたので、よくは知らないんです」
「そうか。そんなら親父さんの分もがんばるんだな。・・・ああ、見えてきたぞ。あれがそうだ」
 艇長はキャビンの小さな窓を指さし、少年は2時の方向から視界に入ってきた物体を確認した。
 ところどころ、青白い照明を受けて浮かび上がるトラス構造のステーションに係留されたそれは、ステーションの構造体に隠れて船体の上の方しか見えなかったが、大まかなデイティールは自宅のリビングに飾ってあった写真の船に、確かによく似ていた。
 古代文明の遺跡であるスフィンクスの姿を模したような船体は、中央部分から左右に伸びた翼のために、ペガサス級と呼ばれる。
 モビルスーツ運用を想定して設計された連邦軍初めての艦は、そのシルエットからは想像もつかないことだが、宇宙世紀史上初の大気圏再突入と、ブースター無しで大気圏を離脱できる能力を持った艦艇でもあった。
 地球連邦とジオン公国が戦っていた時代には、ジオン側のコードにも木馬というネーミングが与えられていた。
 前脚のように突き出た2つのブロックから、モビルスーツを射出する。エンジンブロックも左右一対の後ろ脚のようなレイアウトで、これが「木馬」たる由縁だ。ジオン公国側でこの姿を初めて目視でキャッチしたのが、一年戦争時にエースパイロットとして名を馳せた赤い彗星ことシャア・アズナブルであった。彼がつぶやいた「まるで木馬だな」という一言がきっかけで、ペガサス級1番艦、ホワイトベースのコードネームとして、ジオン側全軍で扱われたという。
 それこそが、父が乗り組んだ艦の名前だ。父だけではない。母も、義兄たちや義姉も、同じ船で暮らしたことがある。それは母から何度か聞かされたことのある、父のイメージのよりどころであった。所属部隊の名前も艦名も本当は知っていたが、イメージでしか知らない世界の話は、あまり口にしたことがなかった。だから、つい誤魔化してしまう癖が、知らないうちにできるようになっていた。
 内火艇は姿勢制御を繰り返しながらグリフォンに接近し、ブリッジの後ろ側を飛び越えると、トラス上に設営されたポートに軟着陸する。揚陸艦グリフォンの船体は、全体がミディアムブルーに塗られている。ブリッジ部分だけでも近くで見ると山のようだ。
「ようし、なんとか出港までには間に合ったな。あれがどんなふうに使われているかは、直に見物することだな。船長に会うのは奴らが一仕事してからってことになってる。総支配人に挨拶したらすぐに乗船しな」
「ありがとうございます。行って来ます・・・あの、艇長、よろしければお名前を教えていただけませんか?」
 少年にたずねられた艇長は「なんでだ?」という顔をする。
「宇宙に出て、初めて話らしい話をさせていただいたので・・・」
「ほ、律儀なやつだな。じゃあ覚えといてくれ。アントン・ミンク。内火艇スプリガンの艇長だ」
 艇長は少年に右手を差し出した。このとき、少年は初めて宇宙に迎えられたのだ。ライトブルーのノーマルスーツに身を固めた少年は、自分の荷物を積めたたった一つのトランクと、ヘルメットを抱えてエアロックに入った。
「武運を!」
 艇長が右手の親指をぐいっとつきだした。

 エアロックから乗り移った「DAI-TOWN 3」のエントランスゾーンで、グリーンのユニフォームがよく似合う女性スタッフに案内されながら、少年は人工重力ブロックに連れて行かれた。
 1Gという重力が体に戻ってくる瞬間は、紙1枚の重ささえ感じられるというが、訓練を積み重ねずにこれを体験するのは気持ちの悪いものだ。実際少年は、シャトルで打ち上げられてから軽い船酔いを起こしていた。
 無口になっていたのはそのせいかもしれない。しかし今日からは、この0Gと1Gの空間を自分のものにしていかなければならない。もしも、もしもこれから自分がモビルスーツや高速艇の操縦をするようなことになれば、その加速力に応じたGにも耐える必要がある。
 それほど時間を待たずに自分が想像していたよりずっと若い総支配人に引き合わされ、短い挨拶のあとに簡単なレクチャーを受け、いくつかの書類にサインをして、少年はこのテーマパークのスタッフとして迎えられた。
「では、ヤマト・コバヤシ君。たった今からこのステーションが君の家であり、職場だ。資格と技術は我々が責任を持って教え、身につけさせよう。しかし、ここで何を掴んでいくかは君次第だ。期待している」
 総支配人は認識票と個室のキーを兼ねた多目的IDカードを手渡し、直ちにグリフォンへ乗船するよう指示した。
 出航まで40分を切っている。ヤマトはあわただしく挨拶を済ませ、クルー用の乗船通路に誘導される。
「あたしはレクリエーション・サービススタッフのヒトミ・イオギ、よろしくね」
 ここまでずっとヤマトをサポートしてきた彼女も、グリフォンのクルーなのだという。RSSというロゴが左の上腕にマーキングされたグリーンのユニフォームは、そのマークと色だけで所属が分かるようにデザインされている。ヤマトの着ているライトブルーはMSS、メカニック・サポートスタッフの専用色であった。
「キャプテンへの挨拶は、今日のクルーズが終わった後だっていうから、はじめに艦内をざっと案内しておくね。ついてきて」
 それだけ言って、ヒトミは壁に取り付けられているリフトグリップを掴むと、グリップに内蔵されたスイッチを操作して艦内の奥の方へと移動していく。ヤマトは一つあとのグリップに手を伸ばし、彼女に続いた。



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